「電気の缶詰」と呼ばれるアルミニウム・歴史編・

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今回は「電気の缶詰」の異名を持つアルミニウムの歴史をご紹介します。

アルミニウムの歴史

人類による金属の使用は、紀元前7,000~8,000年頃(メソポタミア文明)に発見された自然銅*から始まったとされています。その後紀元前3,500年頃(エジプト文明)には私たちに最も馴染みの深い鉄が発見され、現代までに様々な金属がその精製技術とともに生まれています。

古くから利用されてきた銅や鉄と同様、今日のものづくりに欠かせない金属の中には「アルミニウム」も含まれるでしょう。
今では私たちの日常生活に多く使用されているアルミニウムですが、近代になるまで金属として証明することができず発見が遅れたため、意外にも金属史の中では比較的若い材質であることをご存知でしょうか。

*自然銅:元素単体でできた鉱物

・発見が遅れた原因

地殻中に存在する金属元素の中で最多(元素全体では3番目)であるにも関わらず、発見が他の金属よりも遅くなってしまったのには「アルミニウムの特性」が要因として挙げられます。
アルミニウムはイオン化傾向*が高いため銅や鉄のように元素単体で地殻に存在するのは難しく、明礬石(ミョウバン)や鉄礬土(ボーキサイト)といった鉱物の状態で発掘される化合物です。
ミョウバンは紀元前500年頃には既に生活の中で使用されていましたが、当時は土類に属する(または塩類に属する)ものと考えられており、日干しレンガや媒染剤、毛皮のなめし剤、綿布や紙の防火塗料などの材料として用いられていました。
その後も食品添加物や消臭などに使われてきたミョウバンでしたが、数百年の研究を経て金属(アルミニウム)への還元に成功したのは1800年代に入ってからのことです。
一見、金属には見えない外観と、鉱石からアルミニウムを分離する技術の発明に困難を要したことが発見を遅らせた大きな原因でした。
ミョウバンからアルミニウムを精製するようになって約50年後には、新たにボーキサイトからアルミニウム成分を溶出することに成功します。
その精製過程が非常に工業用に適していたことから、現在のアルミニウムの原料の多くはこのボーキサイトとなっています。

*金属のイオン化傾向
金属(原子単体のもの)が自身のマイナス電子を他の物質へ与えることで酸化し、陽イオンになろうとする性質のこと。傾向が高い(大きい)ほど酸化しやすく、低い(小さい)ほど酸化しにくい。

 ・金属 アルミニウムの発見・研究

ミョウバンが発見されて約2200年後の1782年に「質量保存の法則」を発見したフランス人科学者のアントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエ (仏:Antoine-Laurent de Lavoisier)が、ミョウバンを構成している未知の土・アルミナについて「金属酸化物の可能性がある物質である」と発表し「アルミーヌ:Alumine」と命名しました。
1807年にはイギリスの電気化学者ハンフリー・デービー(英:Humphry Davy)が電気分解実験によりミョウバンに未知の金属物質を確認、「アルミアム:Alumium」と命名します。
しかしこの実験では金属(アルミニウム)の完全な分離には及ばず、初めてアルミニウムの単離に成功したのは1825年、デンマークの物理学者のハンス・クリスティアン・エルステッド(丁:Hans Christian Ørsted)だと言われています。

その20年後、1845年にドイツ人化学者のフリードリヒ・ヴェーラー(独: Friedrich Wöhle)が塊状のアルミニウムを得ることに成功。ただこのとき開発された製造方法は非常に高コストであったため、当時のアルミニウムは金銀よりも価値のある貴金属として取り扱われていました。
1854年にはフランスの化学者アンリ・エティエンヌ・サント=クレール・ドビーユ(仏:Henri Étienne Sainte-Claire Deville)がエルステッドの手法を元にした新たな製造方法を発表します。
彼はエルステッドが実験に用いたカリウムよりも安価なナトリウムを使用することで生産コストの引き下げを実現し、わずか2年後の1856年には世界初のアルミニウムの工業生産を開始しました。

その後アメリカの化学者チャールズ・マーティン・ホール(英:Charles Martin Hall)とフランスの化学者ポール・エルー(仏:Paul Louis-Toussaint Héroult)が、偶然にも同じ1886年にそれぞれ独自の研究によってナトリウムすら使用しない、より低価格でアルミニウムを分離する技術を開発します。
後にホール・エルー法*と呼ばれるこの工法は、開発から100年以上経った今でもアルミニウムを精錬する唯一の方法であり、様々な代替工法が研究されてはいるものの今日までに実用化に至っているものはありません。

・日本とアルミニウムの出会い

パリ万国博覧会の様子
(Wikipediaより)

アルミニウム製の扇
(Wikipediaより)

徳川昭武率いる派遣団
(Wikipediaより)

日本が初めてアルミニウムの存在を知ったのはホール・エルー法が開発される少し前、1867年4月からフランスで開催された第2回パリ万国博覧会の時でした。
招待を受けて参加した初の国際博覧会には江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の弟である徳川昭武と渋沢栄一らが出席し、会場に展示してあったアルミニウム製の扇などを見たと言われています。

彼らの帰国後、同年10月に江戸開物社より創刊された日本初の雑誌「西洋雑誌」の中には「新銀ならびにアリュミニウムと名付くる金属の説*」という記事が掲載されています。
外観や製造方法などについてかなり詳しく紹介したこの記事は、アルミニウムを初めて目にした使節団の驚きや感動を民間へも広げることになりました。
その後、アルミニウムの地金が日本へ輸入されたのは明治時代中期の1887年のことです。
1894年には大阪砲兵工廠こうしょうという工場で初の国産アルミ加工品であるベルトの尾錠(バックル)が製作され、その2年後には飯盒はんごうや水筒などの日用品にもアルミニウムが使用され始めました。
当時「軽銀」と呼ばれたアルミニウムは日本国内においてもどんどんと生産量を増やしていくことになります。

*国立国会図書館掲載【西洋雑誌・15ページ】

アルミニウムが「電気の缶詰」と呼ばれる理由

現代ではアルミニウムの原料に、アルミナ成分を多く含む鉱石ボーキサイトを使用しています。
バイヤー法*によってボーキサイトから生成したアルミナ(酸化アルミニウム)を、融解した氷晶石*に加え溶融し、電気分解(融解塩電解)*することでアルミニウムを生成します(ホール・エルー法*)。

*バイヤー法
ボーキサイトからアルミナ(酸化アルミニウム)を生成する方法で、1888年オーストリアの化学者カール・ヨーゼフ・バイヤーによって開発された。
粉砕乾燥したボーキサイトを水酸化ナトリウム溶液(苛性ソーダ)に溶かしてアルミン酸ソーダを生成する。
ボーキサイト中のアルミナ成分が過飽和に溶出したアルミン酸ソーダ液から固形の不純物を取り除き、析出した水酸化アルミニウムの結晶を1,000℃以上で焼成すると粉末状のアルミナとなる。

*氷晶石
鉱物の一種。近年では安価な蛍石を原料とした氷晶石(ヘキサフルオロアルミン酸ナトリウム)が用いられている。

*融解塩電解
対象を溶かした水溶液に通電して分解する通常の電気分解と異なり、対象そのものを融解して行う特殊な電気分解方法。
水素(H2)よりもイオン化傾向が高い金属の場合、この金属が溶け込んだ水溶液の電気分解では、マイナス電極から発生する陰イオンを受け取って先に単体になるのは水分子中の陽イオン(H+)となる。
その結果、発生するのは水素であり金属は析出しない。
そのためナトリウムやアルミニウムなどの電解には水を使用せず、金属自身を溶かして直接通電する融解塩電解が用いられる。

*ホール・エルー法
バイヤー法で精製されたアルミナを電気分解し金属アルミニウムを析出させる方法。
アメリカの化学者のチャールズ・マーティン・ホールとフランス化学者のポール・エルーが個々で研究を進め、偶然にも同じ1886年に開発した。
アルミナは融点が2,000℃以上と非常に高く、効率良く融解塩電解を行うためには融点を下げる必要があった。
融解した氷晶石に溶けるアルミナの性質を利用することで、融点1,000℃ほどでアルミナの液化を可能とし、アルミニウム生成にかかる電力コストを低減させた手法。
大きく分けてゼーダーベルグ陽極またはプリベーク陽極を使用した2つの方法があり、かつては経済的に優れたゼーダーベルグ陽極を用いた方法が主流だったが、電極の消費に伴い放出される二酸化炭素量などの環境的観点からプリベーク陽極を使用する方法が見直されている。

アルミナ(酸化アルミニウム)は、構成している酸素とアルミニウムが非常に強く結合しているため、電解によってこの繋がりを外すには膨大な電力を必要とします。
1tのアルミニウムを製造するために要する電力は約14,000~15,000kwhですが、これは一般家庭(3人世帯)約2年7ヵ月分の消費電気量と同等です。

このように製造過程で大量の電力を消費し、原価に占める電気費の割合が高いことから、アルミニウムは「電気の缶詰」と表現されることがあります。

日本でも1934年(昭和9年)よりホール・エルー法によるアルミニウムの地金生産が始まり、1973年(昭和48年)には国内需要量が世界第2位の167万tに、日本国内の生産量は100万tを超えるまでになります。
しかし、同年に勃発した第4次中東戦争と1978年に起きたイラン革命による2度のオイルショックにより、当時の主力であった火力発電の燃料(石油)が高騰し国内の電気料金も大幅な値上げを余儀なくされることになります。
この事態は「電気の缶詰」であるアルミニウムの製造コストを直撃し、多くの企業がアルミニウム精錬事業から撤退する原因となりました。
オイルショック以降も自社の水力発電で唯一アルミニウム生成を続けていた国内工場も2014年に操業を停止し、2021年現在、日本でのアルミニウム精錬は行われていません。
現在は輸入した新地金とリサイクルされた二次地金を使用して多くのアルミニウム製品を生産しています。

終わりに

多くの化学者たちが金属だと信じて研究し続けたアルミニウム。
鉱物の発見から約2500年経った現代、私たちが日常的にアルミニウム製品を扱えるのは、彼らの研究があったからこそなんですね。
次回は現在使用されているアルミニウムの特徴と種類についてご紹介します!

特徴編はこちら!

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